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飛行機は,成田からハワイのホノルルに向かっていた。
機内では,夕食後のデザートを楽しんでいる人が多く,飲み物を終えた人たちは旅先の話に花を咲かせていた。
そのとき,突然,機体が少しずつ揺れ出した。揺れはだんだん大きくなり,機体は急に「グーン」と急降下した。
一度,二度とドスーンという衝撃が走る。
食器を回収していたスチュワーデスの手元から,コツプや皿が飛び散った。
「ヒャー」
「こわーい」
客席は騒然とした。誰もがジエットコースターで降下していくときと同じように,全身が一瞬宙に浮いた。
通路の向こう側に座っていた人が通路を飛びこえて都内の会社員(69歳)のまえに降ってきた。
書類の上に血が飛び散り真っ赤になった。
トイレから戻る途中の会社員(30歳)はいきなり天井に叩き付けられ,気がついたら友人の足元に飛ばされていた。
顔の傷口がぱっくり裂けた。鼻の骨も折れた。
食器類を運んでいたカートが宙に浮いて天井から跳ね返され,客がその下敷きになって倒れている。
夫と後部座席に座っていたよ女性会社員は通路に投げ出されたまま動かない。
一時は誰もが墜落を予期したが,飛行機はまもなく乱気流を脱出した。
「やめてー」
「医者はいないか」
千葉出身の眼科医が動かない客のところに駆けつけると,耳と鼻から出血しており人工呼吸と心臓マッサージを続けたが,まったく反応がない。
天井に頭をぶつけて頭がい内出血のためすでに死亡していた。
激突のときの衝撃によって機内の天井の一部が破れて穴があき,配管のような円筒がむき出しになった(写真1)。
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| 天井に折れた配管が見える |
この事故では死者1名,重軽傷者129名をだした。
入院者10名のうち2名は天井への激突により四肢が麻痺して歩行不能となり,その他は肋骨を折るなどした。
これは,昨年(1997年,平成9年)の12月28日,深夜に太平洋上で発生した乱気流事故の実際である。
航空機は,ユナイテツド航空のボーイング747型ジャンボ機(乗客374名,乗員19名)であった。
悪天候ではなかったので,晴天乱気流によるためではないかとの見方も出ている。
積乱雲などの雲がないときの乱気流の予知は レーダーに見えないためにとくに難しい。 ジェット気流による突然の乱気流の発生などは通り魔のようなものである。
今回のような洋上乱気流による事故は,最近では昭和60年(1985年)の9月11日にも起こった。
日本航空のボーイング747型が今回とまったく同じように,成田からホノルルに向かう途中,強度の乱気流に遭遇し,乗員4名,乗客47名が負傷している。
ずっと以前のことになるが,山沿いに発生する乱気流の場合,洋上乱気流よりも大きな事故になることがある。
1966年に起こったBOACの大型ジャンボ機707は,乱気流のため冨士山上空で空中分解し,124名が死亡している。
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しかし,乱気流による事故は,衝突や墜落がなければ機体の損傷や火災などがなく,負傷者は多いが死亡者は比較的少ない。
航空機事故の中で最も多いのは,大型機,小型機を合わせると操縦ミスによるもので事故全体の7〜8割を占めている。
晴天乱気流による事故は更に低くなる。
日本における過去10年ほどの民間航空の事故記録によると,定期航空の乱気流事故は10回ぐらいで,晴天乱気流によるものは1回である(シンガポール航空,平成7年1月21日,客室乗務員の負傷程度で大事には至らなかった)。
このような乱気流事故を避けるためにはどんなに天候が良くてもシートベルトを着用していることしかない。
航空機に乗りなれていて事故に遭ったことがない客ほど,シートベルトを飛行中に着用することはほとんどない。これは,危険と常に隣り合わせであることを忘れてはならない。
平成9年一年間で日本発着の定期航空便が飛行中にエンジン異常や計器故障などのトラブルを起こした異常運行は,29社,207件である。
いずれも,目的地を変更したり,出発空港へ引き返したりする安全措置がとられている。
航空機の事故は,小型機に多いが大型機まで含めると,日本では平均して年に30〜40件である。
定期航空では,そのうちの1割程度である。
事故の件数から考えて,飛行機は車より安心だという人もいるが,決して注意を怠ってはならない。
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次は,私自身が体験した乱気流のためのスペイン航空機事故についてである。
この事故は乗客約30人が重軽傷をうけたにもかかわらず,日本人乗客23人が運よく全員無事であり,平成4年3月31日付けの夕刊に短い記事が載せられただけであった。
乱気流のため着陸に失敗し,着陸直前に急上昇した機体が失速して大地に叩き付けられ真っ二つになるという珍しい事故である。
同じような失速による事故はつい最近(平成10年2月16日)も発生した。
台北の国際空港でインドネシア・バリ島発の中華航空のエアバスA300-600Rが,空港付近の濃霧の中で着陸に失敗し,着陸直前に急上昇し失速して墜落し,滑走路を外れて民家を直撃し,乗客乗員ら203名が死傷している。
1994年4月26日に名古屋空港で起きた中華航空の同機の事故についての教訓が生かされず,また繰り返されたことになる。
このときは,副操縦士の操縦ミスにより着陸直前の機体が異常姿勢に陥り,失速,墜落し炎上したものである。死傷者は262名,生存者9名であった。
エアバスA300-600Rはハイテクを行使したコンピューター制御による自動操縦の最新式の航空機で,操縦士自身が計器の操作にそれほど慣れていなくても,一応安全運転が可能である。
このため,正常な飛行から逸脱した事態に遭遇してコンピューター制御が不能になると,制御不能時の計器の正しい操作に慣れていない操縦士は運転操作を誤って大事故へとつながることになる。
このような例から見ると,失速した墜落事故に遭いながら乗客日本人23名が全員無事ということは奇跡中の奇跡ということができる。
平成4年の3月30日の夕刻,マドリードの観光を楽しんだ日本人観光団の23人は,マドリードからグラナダに向かうアビアコ航空の出発を待っていた。
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| アビアコ航空機 |
この年の7月には,バルセロナで国際オリンピックが開催されることになっている。
グラナダのあとにバルセロナのオリンピック会場などを訪れる話,出発の遅れについての不満などで待合室は賑わっていた。
「随分と風が強いわね。出発が遅れるらしいわ。」
「つい先日,離陸時の事故が新聞に出ていたでしょう。今夜,出発できるのかしら。」
雨はさほどひどくなかったが,天候の関係で出発が遅れていた。
「出発できてよかったな。この程度の風ならたいしたことはないらしいね。」
「大丈夫だろう」
同伴していた長男が答えた。
18時35分発の予定が1時間ほどは遅れたであろうか,しばらくして,やっと機上の人となることができた。
昼間の観光疲れで到着までの約1時間の間私は静かにまどろんでいた。
隣の友達と明日の予定のアルファンブラ宮殿について語り合う人,今日見学してきたプラド美術館のゴヤの絵についての感想を語り合う人など,室内はさまざまな雰囲気に囲まれていた。
まもなく,「シートベルト着用」のサインが示された。
「もうそろそろ,着陸だね。」と長男が言う。
「風が強かったけれど,やっとグラナダに着くか。それにしても,ノースモーキングのサインがなかなか出ないな。」
長男に返事をしながら,ノースモーキングのサインのことが気になったのもこのツァーだからといえるだろう。
日本人ツァーの乗客の中に喫煙者は一人もなく,全員禁煙席希望者であったので禁煙席が不足し,機首に近いほうの禁煙席の他に,後尾座席にも禁煙席が急遽設けられたのである。
あとで考えれば,このことが日本人にとって不幸中の幸いとなった。
長男と着陸に着いて話し合っていたころ,操縦室と管制塔とでは空港の着陸時の気象状態について連絡をとっていた筈である。
機長 「風の状態が不安定だ。そちらの状態はどうだ。」
管制塔 「乱気流が発生しやすい状態だ。細心の注意を払って着陸体勢に入れ。」
機長 「了解」
そばで連絡のやり取りを聞いていた乗務員,スチュワーデス達は不安に襲われ,ノースモーキングのサインを表示することなどはすつかり忘れていたと思われる。
窓から飛行場が見えてきた。飛行機は旋回を始め着陸態勢に入ろうとした。
しかし,機体の傾斜があまりに大きすぎる。
これで着陸できるのかと思っていると、右隣にいたスペイン人が,不安のあまり大声をあげた。
飛行機はふたたび上昇し,旋回体勢に入り,着陸態勢に入った。やはり,機首が傾きすぎている。
「これで,うまく着陸できるのか。地面に衝突か。」
と一瞬の不安が脳裏を横切った。
その直後、着陸寸前に飛行機は、機首を上げて急上昇を始めたかと思うまもなく,
「ドシーン」
という大音響とともに機内の照明が消えて,身体が座席から10
cmほど宙に浮いた。
機体も一瞬大地から跳ね上がり,このあと,ふたたび大地に衝突し
「ドシーン」
という二度目の大音響とともに,機体は暴走を始めた。
着陸体勢に入っていたことを知っていたため,全員シートベルトを締めていたのが幸運といえる。
身近の人で天井まで叩き付けられた人はいなかった。
私はひどい着陸もあったものだと思いつつ,何が起こったのかとっさに気づかなかった。
暴走した機体はまもなく停止した。おそらく,10秒ぐらいの間の出来事であったと思われる。
右隣のスペイン人は,機体が停止した瞬間に,前の座席シートの背もたれの上に足をかけたかと思うと,あっという間にとびこえて真っ先に出口に向かった。
「後ろが燃えているぞ。」
と誰かが叫んだ゜
「お父さん,出口は前だよ。早く。」
と通路側にいた長男が叫びながら飛び出していった。
乗務員達は真っ先に待避したのであろう。スチュワーデスをはじめ,誰も客席には顔を出さなかった。
私はシートベルトをはずして手荷物を持ち,後ろを見ると,白煙が出ていてそれから先は何も見えなかった。しかし,炎は見えなかった。
後で知ったのだが,機体には火災が発生しなかったので,この煙は,機体が真っ二つに割れたときの,その割れ口から冷暖房用の液体が吹き出して水蒸気を発生させたものと思われる。
私が逃げ出すころは大半の乗客の姿は見えなかった。
通路に投げ出されたままの旅行カバンを乗り越えて脱出用シートを滑って機外に出た。
機体の爆発を恐れて一目散に草むらの中を駆け出した。
途中に,3人がけの連結された座席が飛び散っていて,そのそばに身動きしない乗客が倒れている。
機体から離れて飛行機を見ると,驚いたことに,飛行機は中央より少し後部から破断され,残りの後部座席ははるか離れたところに破断面を夜空に向けたまま停止していた。
先ほど見た草むらの座席は,機体の破断面上にあったため,墜落時のショックで空中高く飛びあがり,このあと落下したものであった。
どれだけの激しいショックであったろうと思わず身震いをした。
破断部分の近くの座席は喫煙席に当たっていたため,そこには日本人乗客は一人もいなかつた。
これは,先ほども触れたが不幸中の幸いであった。
後尾の機体は墜落直後ぐるぐる回転しながら進んでいって,草むらの中で停止した。
脱出用のシートはもちろん後尾座席にはついていない。
若い日本人が多かったので高さ2m程度の高所から飛び降りるしかなく,一人の日本人女性は足を捻挫した。
着陸態勢に入る前に管制塔との連絡があったためか,大事を予想していたのであろう。消防用の自動車が待機していて,すぐに消火作業が始まった。
消化液が風に吹かれて,夜空に雪のように舞い散った。
遠くからこの場面を撮影しようとしたカメラのレンズは,霧のように降ってくる消化液で斑点状に真っ白になってしまった。
救急車ががどんどん空港に入ってきた。
負傷者は迅速に近くの病院に運ばれていった。
後から多くの消防車が駆けつけるころには,消火作業は終わりに近づいていた。
スペインでは日暮れが遅い。
日本では考えられないのだが,機外に脱出した頃は夜の九時近くというのに空はまだいくらか明るかった。
しかし、空港内のバスを待つわずか10分か20分の後にもうすっかり暗くなっていた。
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やがて,バスに乗りグラナダのホテルマジェスティックについた。
大きな負傷者は誰もなく,足の捻挫一名,むち打ち症状5〜6名ということで,阪神航空の添乗員はじめ安堵の胸をなでおろした。
機内に残した手荷物,スーツケースなどは空港に置いたままである。
一休みする暇もなく,早速,バスを手配して日本人乗客は飛行場に向かう。
空港の事務所では,乗客が残した荷物を一個所に集め,この中から自分のものを選べるように手配してあった。
「あら,私のハンドバックがない。」
「私のものもない。」
貴重品と思われるものはその部屋の中には見当たらないのである。
「これだけしかないのか」
「これだけです」
担当の事務員が応答する。
「そんな筈はない」
しばらくやり取りが続く。そのうち,
「では調べてみます。」
といって部屋を出ていった係官は
「こちらへ来てください。」
とすぐ近くの部屋へ案内した。
なんと驚いたことに,先ほどまでないといっていた貴重品が全部集まっていた。
本当に担当の係官はこの部屋のことを知らなかったのだろうか。
火事場泥棒的なにおいが濃厚なのであるが,品物が戻ればよいので,各自自分のものを選択してホテルに戻った。
真夜中を大分過ぎてから,スーツケースがホテルに全部届けられた。
そこまでの添乗員の苦労は並大抵のことではなかったと推察される。
病院でむち打ち症用の首につけるカラーをつけてもらった人も数人いたが,捻挫で入院する羽目になった女性一人を残して,明日からの観光は予定どおり実施されることとなった。
翌朝,ホテルの近くに朝刊を買いにいくと昨日の飛行機事故のことがトップニュースで報じられていた。
次に,事故の様子について説明しよう。
次の写真は,着陸の直前から墜落,機体の破断後機体と後尾部分とが停止するまでを示している。
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機体は地面に対してかなりの傾斜で着陸体勢に入った。
このままでは、機首から墜落する。危険を察知した操縦士はとっさに機体を急上昇させた。
しかし、失速していた機体はそのまま胴体の中央より後部から地面に落下する。
激しい衝撃で機体は真っ二つに破断され,前方の部分は暴走し,後尾の部分は回転しながら飛んでいき,どちらも草むらの中で停止した。
次の写真は前方の部分の破断面である。
完全に破断され,その付近の座席部分はもぎり取られている。
一部の座席は乗客もろとも空中に放り出された。
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次の写真の左部の手前には放り出された座席が写っているのが見える。
右部は破断された後尾部分であり,ここには8名の日本人乗客が乗っていたが,全員自力で脱出した。
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日本人乗客が大した怪我もなかったというだけで,事故を忘れるわけにはいかない。
事故原因だけでなく,その他の面も今後のためにいろいろと分析しておくことも必要である。
まず,なぜ,着陸を失敗した操縦士は着陸の直前に急上昇をするのだろうか。
今回の経験からすれば,機首の傾斜が大きすぎたときは,機首の先頭にいる操縦士は地面に激突する危険を第一に感知するはずである。
操縦士は本能的に機体を急上昇させざるを得ない。
着陸体勢に入っているときは,スピードも落ちているために失速し,後方より墜落することになる。
今回の事故では,不幸中の幸と思われる点がいくつもある。
例えば,
@ 墜落したときの高度が低かった。
A ガソリンタンクは主翼部分にあり,破断部分から離れていた。
B 国内航空の着陸地点であったためガソリンの残量が少なかった。
C 墜落時の衝撃によるエネルギーが機体を破断する仕事に費やされ,
機体全体の衝撃を和らげた。
D 消火作業が墜落後,急速に遂行された。
E 分裂後,滑走路から離れた機体がすぐ草むらに入れたために長距
離を暴走することなく急速に停止することができた。
などが考えられる。
飛行機事故は生存者が状況を正しく伝え残し、今後同じような事故を再び起こさないようにする義務があるのではないか。
事故から何年も過ぎた現在,多くの航空機事故が最近とくに連続して起こるのを知るにつけ,事故の再発を防ぐことを心から祈りたい。
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平成10年6月 豊田 ひろし
追記(その後の日本人乗客が関係した乱気流による主な飛行機事故)
*平成10年7月9日午前1時過ぎイスタンブール発の成田行きトルコ航空1022便(乗客,乗員202名)は,飛行中に乱気流に会い,日本人乗客6人が天井などに頭や膝をぶつけて,骨折などの重軽傷を負った。機体には異常がなくそのまま飛行を続け,午前8時26分に成田空港に到着した。
*平成10年8月22日午後5時頃,グァム発成田空港行きのコンチネンタルミクロネシア航空967便(乗客,乗員計449人)がグァムの北約600キロの太平洋上空で乱気流に巻き込まれ,日本人女性客3人が,胸や腕に打撲や擦り傷などの軽傷を負った。グアムを出発してから約一時間後の機内食が配られていたときのことであるという。
*平成10年9月11日午前4時半(日本時間同日午後11時半)頃羽田発ホノルル行きの中華航空ジャンボ機が,ハワイの上空で乱気流に巻き込まれ,11人が軽い怪我をした。そのうち,10人は日本人で,全員,病院で手当てを受けた。昨年の12月に起きた事故(本ページ参照)とまったく同じで,夏や冬の違いによらず,乱気流の発生し安い地域では飛行中もシートベルトを必ず着用することが必要である。
*平成10年12月11日午後7時(日本時間同9時)頃,バンコク発スラタニ行きタイ航空261便(乗客・乗員146名)エアバス3101200型機がタイ南部のスラタニ空港への着陸に失敗した。死者101人,生存者41人,日本人乗客4人のうち水産会社のバンコク事務所長,久保悟さん一人が死亡した。事故当時土砂降りの雨と風の大荒れの天候の中で2回の着陸に失敗し,3回目の着陸時に滑走路が見えず急上昇後,失速してオーバーラーンしゴム園に墜落して大破散乱し炎上したものである。原因は視界不十分と空港付近の乱気流によるものではないかと思われる。原因調査中。(H.10.12.13.)
*平成11年1月21日成田空港発午後7時43分発ホノルル行きの米コンチネンタル航空910便(乗客327人,乗員18人)は,離陸3時間後に上空1万1000メートルで乱気流に会い,乗客18人,乗員4人が首や背中などに軽症を負った。乗客の大部分は日本人であったが重傷者はなかった。この事故は,1985年5月のホノルル行きの航空機事故,1998年(平成10年)9月のホノルル行き航空機事故とおなじ乱気流事故である。
*平成11年6月7日午前10時50分頃宮崎県沖上空で,那覇発関西空港行き全日本空輸機のボーイング゜767型機が乱気流のため大きく揺れ,客室乗務員の女性一人が手首を骨折する重傷を負った。全日空によると,雲の状況から,乱気流に遭遇する可能性があることは,離陸前の打ち合わせで客室乗務員に連絡済みだった。機長は午前10時50分にシートベルト着用サインを点灯したが,その直後に期待が大きく揺れて,席を離れていた客室乗務員6人が転倒するなどしたという。乗客148人にはけがはなかった。
*平成11年8月22日午後6時45分頃,バンコク発台北行きの中華航空642便MD11型機(乗員315人乗り)が香港国際空港で気流が不安定のため横風にあおわれて着陸に失敗し,右主翼炎上の後機体が仰向けにひっくり返った。死者2名,重体・重傷計16名,日本人乗客はいなかった。乗客は宙づりになったが機体の損傷が少なく軽傷約200名であった。
しかし,この機体は日本航空が10機を保有しており,過去にも何回も事故を起こし,その原因は機体の特性にあると見られている。例(1997年6月香港発名古屋行き日航同型機が飛行中はげしく揺れ乗客ら12人が重軽傷。1998.6月,日航同型機はマニラ空港で滑走路を外れる事故で20数人が怪我;1998.9月スイス航空の同型機カナダ沖大西洋上で墜落乗客・乗員229人全員死亡。)
*平成11年10月17日午後零時17分(日本時間1時17分),中国南方航空ボーイング757機(乗員12人,乗客148人)が中国の昏明から香港に向う途中,香港手前の上空で乱気流に巻き込まれ,乗客39人と乗務員6人が天井に頭をぶつけるなどして負傷した。負傷者のうち17人が日本人であった。マカオ上空から香港に向った2分後,急に機体が600メートルも急降下したためで,負傷者はシートベルトをしていなかった。
*日本時間平成12年11月1日午前0時18分,台北近郊の中正国際空港を離陸しようとしたロサンゼルス行きシンガポール航空006便・ボーイング747-1400型ジャンボ機(乗客159人,乗員20人)が離陸に失敗し,滑走路上で炎上した。死者は80人前後となる様子。日本人乗客の一人が行方不明者に含まれていた。
事故当時,台風20号が接近中で午後8:00頃から空港付近に強い風が吹き,横殴りの雨が降り視界の悪い状況であった。離陸の際に何か障害物に衝突したとの報道もある。機長他乗員の多くは生存していた。
*平成14年10月21日午前11時頃,福岡発羽田行き日本航空356便(乗客・乗員計556人)が,名古屋空港の南東約100キロ,高度約11500メートルで乱気流に遭い,乗客と乗員計17人がけがをした。うち2人は腰椎骨折(31歳男性),鎖骨骨折(37歳男性)の重症であった。シートベルトサインは点灯していなかったという。国内航空の場合でもシートベルトの常時着用が必要であることを示している。
*平成17年3月18日午後6時45分頃,サイパン発成田行きの米ノースウエスト航空(ボーイング747-200型機,乗客・乗員計362人)が,成田空港の南約90キロの高度4500メートルの太平洋上空で乱気流に巻きこまれ,米国人の客室乗務員2名,日本人乗客4人が病院で手当てを受けた。シートベルトをしていなかった乗客が座席からとばされたり,頭や首,ひざなどを打った人がいたがいずれも軽傷であった。
*平成18年2月28日, 日本航空系のホノルル発成田行きジャルウェイズ71便(ボーイング747-400型機,乗客366人)が,太平洋上空で乱気流に巻き込まれた。ホノルル空港離陸後約一時間後に高度約8400mを飛行中に乱気流に巻き込まれたという。日本人乗客2名が頭などを打った。
*平成19年4月16日 午後4時50分頃、那覇発羽田行き全日空128便ボーイング777-300が、静岡県御前崎の南方約100kmの太平洋上空高度約10000mを降下中に乱気流に遭遇し、機体が大きく上下に揺れた。乗員乗客410名のうち、女性乗客1名が左足首を捻挫、客室乗務員6名が腰を打つなどし、計7名が軽傷を負った。乱気流が予測されたため、機長がベルトサインを出していたが、けがをした女性乗客はトイレの順番を通路で待っていたため転倒し、客室乗務員6名も機内を点検中であった。
*平成19年9月2日 2日午後7時30分ごろ、韓国・済州島発関西空港行き大韓航空733便が松山市沖の上空を飛行中、乱気流に巻き込まれた。けがをした乗客は日本人男性1人、中国人の男性2人と女性1人、韓国人女性1人。同社によると、シートベルトの着用サインは出ていなかった。
*平成19年10月27日 中国・杭州発成田行きの日本航空636便ボーイング767(乗客234人、乗員12人)が27日、乱気流に巻き込まれ、乗客の静岡県の女性(77)が胸椎(きようつい)を骨折した。
*平成19年10月31日 成田空港付近の上空(高度約3000メートル)で10月31日午後5時半ごろ、グアム発成田行きのJALウェイズ942便(ボーイング747―300型、乗客・乗員167人)が大きく揺れ、乗客の女性(61)が機内の通路で転倒し、右足の小指が折れるけがをした。日航広報部によると、当日は晴れていたが、乱気流が影響した可能性があるという。