[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

7. 重粒子線治療終了後の経過(2002/02〜)

粒子医科学センター病院退院後
  平成14年(2002)1/15に重粒子医科学センター病院に入院してから2/22に退院。その間,前方,左方,右方のそれぞれより照射し,しかも,四日間連続照射した後は三日間は休むという照射計画のおかげで,皮膚の炎症などは全くなかった。
 退院後は,一月に一回程度,重粒子センター病院での再診をしばらく続けることになった。また,私の場合は最初にPSAの値が73で,中分化がんの中に低分化がん(もっとも転移しやすいがん)が混ざっていたため,MRIなどの写真には写らなくても,周辺組織に低分化がんの一部が点在的に転移していることもあるという。したがって,いままでかかっていた病院の泌尿器科で抗男性ホルモン剤(カソディックス)をもらい一年間程度は飲み続け,月一回のリュープリン注射を続けるよう主治医から指示された。

蓄尿量の変化
 先に,
頻尿止めの薬の説明で就寝後の夜中にに17回のトイレの回数は多すぎると書いたが,病院よりの帰宅後から就寝前までの間の水分の摂取量は,約1000ccであった。その日は照射13回目が終わったときで,照射の副作用も進んでいて,膀胱内の限界蓄尿量が40〜50cc程度であったから,夜中に17回トイレに行っても,排尿量の総計は1000cc以下である。したがって,頻尿止めの薬(バップフォー)の逆影響でトイレの回数が増えたと考えるよりも,薬の頻尿止め作用は効き目がなくて,単に膀胱の蓄尿量が小さかったからトイレの回数が増えたと考えたほうが説明がつく。
 退院して,重粒子線の最後の照射から4日後になっても,夜中のトイレの回数は4回であった。そこで,この回数は,寝る前の水分の摂取量と関係があると考えた。明け方,トイレに行った後,コップに約150ccの水を飲んだところ,30分後に100ccの排尿量があった。そのとき,さらに,約150ccの水を飲んで実験したところ,約15分おきに2回トイレに行き,そのときの排尿量は約100ccであった(量は目盛付コップで測定した)。つまり,そのときの限界蓄尿量は約100ccであることが分かる。
 ということは,体内全体の水分蓄積量にも限界があって,その限界を超えた水分はどんどん体外に排出する作用があるのだろう。
 もし,膀胱の蓄尿量が増加して普通の人並みに200cc程度になったとすれば,これは,100ccの2倍だから,トイレの回数は2分の1に減ることになる。つまり,照射の副作用として膀胱の収縮作用がなくなるために,照射後に頻尿の程度が高くなるということだろうか。逆に言えば,照射によってダメージを受けたがんが,周囲の健康な組織に吸収されながら消滅していく何ヶ月かの過程のなかで,膀胱の収縮作用が回復していけば頻尿も治っていくことだろう。
退院後の副作用の変化について
 退院後の副作用として特に困ったこととしては,後で述べるリュープリンの副作用が6月に始まるまでは,持病の頚椎後縦靭帯骨化症による後遺症を除いては,頻尿以外には何もなかったといえる。体重についても入院前と後とでまったく変化はないし,血液検査による健康診断の結果もすべて正常であり,食欲,排便などの機能も異常は全くない。
 頻尿については,退院後2週間ぐらいは蓄尿量が50〜70cc程度なのでトイレの回数も一日20回前後になり,あわててトイレに駆け込むことも多かった。排尿量総計は一日1200cc程度であった。しかし,3週間を過ぎたころから突然一回の蓄尿量が増えて100cc前後になり,失禁はしなくなった。それでも,一日の排尿量総計は1200cc程度でほとんど変化はない。退院後5週間を過ぎた頃に突然,夜中の限界蓄尿量が180ccを超えることが何回もあり,それとともに,一日の排尿の回数が減少した。
 要するに,頻尿程度の副作用は一ヶ月も経てばどんどん良くなることが実感されるので,一週間や二週間の間に一喜一憂することは何もなく,成り行きに任せておけば心配はないということであろう。入院前もそうであったが,退院後も晩酌は欠かしたことがない。とはいっても,せい゛ぜいワイン一瓶を2〜3日で空ける程度なので決して深酒はしない。ただし,重粒子線の照射の期間だけは,免疫力の低下を防ぐために晩酌はしなかった。
 軽い運動はしたほうが良いとの森田先生からの指示もあって,一日に1時間程度の散歩はしている。幸い,自宅の裏は狭山丘陵なので,5分もすれば尾根道に入り,マイナスイオンのあふれた空気の中で森林浴をすることができる。これも,免疫力を高めるのに役立つことであろう。
その他

 入院中からずっと気になっていたことであるが,左骨盤内の鈍痛が治まることはなかった。ベッドに横になっている時間が多く,運動不足もあり,夜中に鈍痛が気になることもあったので,退院間近の2/20(水)の朝になって主治医に相談したところ,その直後にRI(ラジオアイソトープ)検査のひとつである骨シンチの写真を撮影する手配をしてくれた。その結果ついては,前年の8/10に撮影した骨シンチの写真と比較して変化はないので,現状では,骨に転移の心配はないとのことをすぐ翌日に報告してくれた。患者の親身になってすぐに対応してくれる主治医(辻,柳両先生)たちの献身的な行為に心から感謝したい。
 退院後は,整形外科などに行って骨盤内の鈍痛の原因を調べることにしたい。
 健康食品としての水溶性アガリクスの粉末は現在でも毎日一回(私の場合,一回分の費用100円程度)服用している。2/25(月)夜のTV放送(テレビ東京「クスリになるテレビ」)では,アガリクスその他のきのこ類の抗がん作用と免疫力を高める効果が報道されていた。しかし,値段が高いほど良いというものではないらしい。
CTとMRIの写真について
退院後約一ヶ月を経た3/25(月)にMRI,一日置いて3/27(水)にCTの撮影をした。3/27には森田先生による診断があり,CTの写真は昨年の8/15の写真とほとんど変わらず,MRIの写真はいくらか前立腺が小さくなっているようだが,写真そのものは2〜3年経たないと変化がはっきり現れないということであった。
 重粒子線の照射によってがん細胞がダメージをうけても,その場所から消えてなくなるわけではない。手術で切除するのとはわけが違う。爆撃を受けて破壊された建物も片付けない限りその場に残るのと同じことである。
 
ダメージを受けたがんの組織は今までのような分裂と増殖ができなくなるが,正常な組織はダメージを受けても,幸いなことに免疫力によって快復することができるという。周囲の健康な組織が徐々に快復するにつれて,がんにやられた組織を長い間に少しずつ消滅させていくらしい。
 次に,(H13)の9/12,(H14)3/25,(H15)3/11の前立腺部分のMRI写真の比較をご覧になる方は,次をクリックしてください。
   
H13/09/12,H14/03/25,H15/03/11の MRI写真の比較
 比較をしてみると,大きな変化はないものの,リュープリン注射や飲み薬カソディックス(水溶性アガリクスも飲用した)などの半年の治療の間に周囲の組織がわずか改善されて,穏やかな感じになって見えないだろうか。さらに,重粒子線照射一年後の写真(H15/03/11)は,ゆがんでいた前立腺の形が一年間の間に正常な球状に戻りつつあるといえそうである。
 退院一年後(H15/03/11)に,CTおよびMRIの写真撮影をした。その結果は,転移はないということであった。
尿意について
 H14/04/11(木)に多摩老人医療センターに行き,2週間前の3/28の採血の結果を知らされた。前と同様に腫瘍マーカーPSAの値は0.2以下で,前立腺がんの活動はまったくない状態ということであった。
 ちょうど,その日は,友人で碁相手の肥沼さんが高木先生の手術を受けて入院しておられたので,病室を訪れたら起きて歩いておられるのに出会った。しばらく,お話を伺っていたが,その折,
「尿意を感じますか。」
と質問を受けた。
 今までは,重粒子線の照射では尿意が短い時間間隔で起こることはあっても,なくなることはなかったので,「はっ」とした。手術の場合には,術後しばらくは尿意を感じなかったり,あるいはそのまま失禁状態が続いたりすることは聞いてはいたが,手術と比較して重粒子線照射の利点は尿意を失わないことにもあることに初めて気づいた。
 私の場合,照射終了後約50日を経過した現在,蓄尿量70〜80cc程度で尿意を感じるが,起きているときには100cc程度まではトイレの我慢が可能である。それ以上になると,いつ失禁が起こるかわからないので,なるべく早めにトイレに行くようにしている。寝ているときは,膀胱の上からの圧迫がないためか150cc以上でも失禁は起こらない。目が覚めれば尿意が生じるのでトイレに起きることになる。ここ数日の間に,突然夜中のトイレの回数が減って,1〜2回になった。つまり,普通の人と変わらない状態に快復したということになる。重粒子線治療のすばらしさに改めて驚いている次第である(H14/04/12)

退院後数ヶ月の病状のまとめ
 退院後の健康状態の診断は,本人の体調の状態と定期的な血液検査による健康診断である。
 本人の体調の状態は,日常の生活の過ごし方とも関係があるが,幸い,現在の私はこれといって差し迫った著述の仕事もなく,疲れたら自由に昼寝ができる身分なので,散歩の後や,コンピューターとか囲碁などで疲れた後も一休みすることができる。
 
排尿状態の変化
 重粒子線照射による副作用として体感するのは,限界蓄尿量が小さいためにトイレに行く回数が多いというだけである(毎月行なうリュープリン注射の副作用はあとで紹介する)。そのため,排尿量と排尿回数は退院後,自宅にいる日は必ず記録してみた。一日の長さは,午前0時から翌日の午前0時までとし,夜中の長さは午前0時から午前7:00までの間とした。
 夕食時に500mlのビールを飲んで実験したところ,睡眠薬を飲まないで就寝すると,夜中に5〜6回起きてしまう。ビールを飲んでも就寝前に睡眠薬を飲めば,夜中のトイレの回数は2〜3回で済むが,朝起きてからが15〜30分おきに何回もトイレに行くことになる。結果として,ビールは排尿回数を増やして新陳代謝を高める機能をもっている。飲んだビールの量以上に体内の水分を排泄するので,水分をあとから補うことも必要になる。
 一方,睡眠薬は,睡眠中に腎臓などの臓器の活動を一時的に不活発にする働きをしていることが分かる。下記の夜中の回数の平均値を求めるときのデータには,ビールなどの水分を多量に飲んだ後のこのような不規則データは含んでいない。外出日,旅行などにでかけて未記録の日は省いてある。記録日数は月に20〜25日である。最終月(*印)は4週目のデータを入れてないので後で修正する。(H14.05/21)

 念のために,各月の平均を示しておく。7月まではいずれもリュープリン注射中の値である。重粒子線照射終了日(02/02/22)から3ヶ月経つ間に,着実に膀胱の膨張機能が少しずつ快復してきたようである。しかし,5月以後は夜中にトイレに行く回数も,一日にトイレに行く回数もほとんど変化はないといえる。もしかすると,その原因は,リュープリンの副作用のひとつ頻尿作用のためかもしれない。

 6月20日にした最後のリュープリン注射の効力の継続期間は約一ヶ月であるから,7月20日以後は
がなくなると思われるので,7月20日以後は別の統計値に算入することにした。
 リュープリンには頻尿の副作用はほとんどないと考えている泌尿器科医も多いと思うが,筋肉への強烈な副作用を経験したものにとっては,膀胱の周囲の括約筋の回復をリュープリンが妨げているのではないかと思えてくる。5月〜7月にかけての尿回数の無変化は,身体の回復作用とリュープリンの副作用(頻尿)とが平衡状態になっている可能性もある。,7月20日以後のデータによって,この可能性を確かめてみたい。

平成14年 夜中の回数(平均) 一日の回数(平均)
3月 3.4回 13.8回
4月 2.5回 12.5回
5月 2.2回 11.6回
6月 2.4回 11.6回
7月 2.9 11.0
8月 2.8 9.4回
9月 2.3回 9.3回
10月 2.4回 9.4回
 6/20のリュープリン注射から一ヶ月以上を経た8月以後の平均値は,リュープリンの副作用がほぼなくなったと見られる。夏のため,夜に水分を多く摂取したため,夜中の回数はほとんど変化しなかったが,一日の回数は確実に減少している。9月の平均値も8月とほぼ同じである。リュープリンの頻尿としての副作用が減ったためと考えてもよさそうである。
 排尿の回数は8月から10 月まではほとんど変化はない。一応,安定してきたと考えてよさそうなので,以後はしばらく測定を中止することにした。水分を多く取れば排尿の回数が増えるのは当たり前なので,問題は,一回の限界蓄尿量である。8月以後の蓄尿量は,夜中が170から200cc,昼間が100cc前後でほとんど変化はない。
 
 
血液検査の結果
 2〜3ヶ月おきに,多摩老人医療センターで血液検査をうけている。普段は,高木健太郎先生の診察では,正常で心配はありませんという報告だけで,何がどうなっているのかさっぱり分からなかったので,3月28日の血液検査の結果のコピーをお願いした。看護婦さんが隣の部屋で早速コピーした検査報告台紙を手渡してくれた。
 その台紙には,今まで検査した3回(01/09/06,01/11/22,02/03/28)の結果がすべて記録されていた。過去を含めて,三回の検査結果にはそれほど大きな変化は見当たらなかった。
 たいていの患者の場合,医者のほうも,素人の患者には検査記号の説明をしても分からないだろうと,気を利かせて細かいことは説明してくれない。しかし,検査結果をもらっていなければ検査結果について調べようもない。そこで,コピーしてもらった検査報告台紙にあった検査記号について調べることにした。
 「
健康診断の結果の見方」については,ここまたはここまたはここをクリックすると詳しい説明のあるホームページ(リンク)に進むことができます。
 前立腺がん患者の場合,毎日服用している錠剤
カソディックスは,とくに肝障害を起こす可能性が高いので,2〜3ヶ月ごとに肝機能検査を必要としている。次に示すのは,私の検査結果である。

 肝機能に関する主な検査記号・要旨・正常値・私の検査値


記号 要旨 正常値 2001年 2002年
09/06 11/22 *01/18 *02/22 03/28 06/20 07/15 08/29
ZTT   u 慢性肝炎 2.0〜12.0 14.6 14.1 14.1 -- 13.8 16.8 15 15.0
GOT  IU/l 肝炎 10〜40 29 36 26 27 29 25 21 27
GPT  IU/l 急性肝炎 5〜45 29 40 23 31 25 25 17 24
LDH  IU/l ウィルス性肝炎 250〜420 247 259 243 256 262 232 470 235
ALP  IU/l 肝臓がん 90〜270 291 336 386 293 330 277 294 299
LAP  IU 肝硬変 25〜55 52 57 -- -- 55 52 -- 52
γ-GTP IU/l 肝炎,肝臓がん 男60以下 32 43 34 32 32 31 24 25
*は重粒子医科学センターでの検査値,07/15以外は多摩老人医療センターでの検査値

記号 要旨 正常値 2003年 2004年 2005年
03/07 08/15 11/06 02/05 01/14
ZTT   u 慢性肝炎 2.0〜12.0 -- 18.3 -- --
GOT  IU/l 肝炎 10〜40 28 19 19 22 29
GPT  IU/l 急性肝炎 5〜45 17 15 25 21 24
LDH  IU/l ウィルス性肝炎 250〜420 567 279 188 212
ALP  IU/l 肝臓がん 90〜270 -- 255 -- --
LAP  IU 肝硬変 25〜55 -- -- -- --
γ-GTP IU/l 肝炎,肝臓がん 男60以下 -- -- 24 26
*は重粒子医科学センターでの検査値,07/15以外は多摩老人医療センターでの検査値
 06/20,07/15の値:05/24以後カソディックスの服用を止めてリュープリン注射のみ。カソディックスをやめた一ヵ月後はZTT以外の値は減少している。
 07/15の値は別の病院での検査値:リュープリンの副作用がもっともひどかつた時期で副作用の特徴のひとつであるLDHの急上昇(
470)がわかる。この後の08/29の値は6/20のリュープリン注射を最後としてそれから2ヶ月以上経ってからの値である。リュープリンの副作用がなくなってからの検査値であるので,LDHの値は正常値に戻り,ZTT,ALPの値が正常値よりわずかに高い程度で落ち着いている。私の場合,リュープリンの注射を中止してよかったと考えられる。

 私の場合,02/06/20まではZTTとALPの値がやや高いが,他の値が正常値なので当面はあまり心配はないということであろう。手元にある説明書によっても,正常値が異なったり,記号の単位が違って正常値が違うものもある。あくまでも,ひとつの目安ということであろうか。
 02/05/22(H14)に重粒子医科学センター病院で辻先生の診察があった。02/03/28までの内容の報告とともに,毎日の疲れが激しいので上記ZTT,ALPの値が大きくなっていることを報告したところ,カソディックスの影響だと思われるので,重粒子線の照射終了後3ヶ月間飲み続けているカソディックスを止めて様子を見ましょうということになった。
 カソディックスは東京都多摩老人医療センターでもらって飲んでいたので,二日後の5/24に老人医療センターの高木先生に話したところ,そのほうが良いでしょうということで5/24以後はカソディックスの服用を中止することにした。今後の検査の結果,腫瘍マーカーのPSAの値が高くなるようであったら,そのときに,また飲み始めることもできるという。ただし,5月の時点では,月一回のリュープリンの皮下注射は続けていくことになったが,後述する副作用のため,02/06/20の注射で中止になった。第一回のリュープリン注射は01/08/17であるから,ちょうど11ヶ月で中止したことになる。
8/29の値は,カソデイックスもリュープリン注射も止めて数ヵ月後の初めての血液検査の値である。
 2003年3月の検査値は,近所の病院の循環器診察における定期健診の結果である。最近は運動不足もあって,体重も増加し,LDHの値が今までになく増加し,基準値430を大きく上回り567になっていた。ちょうどこの時期に,運動不足やコンピューター作業の疲れが影響していたかもしれない。

 リュープリン注射跡の腫れと副作用(←クリック)
 注射跡の腫れ
 2002年2月から5月にかけての右脇腹にリュープリン注射をしたあと,4回のうち3回の注射液が体内に吸収されないで注射跡が大豆大に腫れ化膿した(6月半ば)。
 
筋肉痛
 注射跡の化膿のほかにも,継続的な疲労と筋肉痛,異常な肩こりに加えて,右足のももからふくらはぎにわたる痛み(注射跡の化膿よる影響かもしれない。)などもあったので,02/06/26に重粒子医科学センターの辻先生に相談したところ,リュープリンの注射を止めて,PSAの値の変化を見ながら今後の様子を見ましょうということになった。多摩老人医療センターの高木先生宛その旨の報告書も書いてもらった。 しかし,06/20に,すでに多摩老人医療センターで最後のリュープリン注射が左脇腹になされ,その副作用で7月にはいると,全身の筋肉痛がさらにひどくなり,ついには骨盤の左奥(いままで鈍痛のあった場所)から左もも外側の筋肉痛が常時続き,長く腰掛けることもできず歩行も困難になってしまった(詳しくは上記「リュープリン注射跡の腫れと副作用」参照)。患者が軽い筋肉痛などを持っている場合には,その痛みが倍化され捻挫と同様な激しい筋肉痛に見舞われたことになる。
 
皮膚疾患
 リュープリンは身体の免疫力を低下させて,発疹などの皮膚疾患が発生すると直りにくくなる副作用もある。とくに絆創膏によるかぶれなどはヘルペスと誤診されることもあるので注意が必要である(かぶれをヘルペスと誤診され入院した体験記録[東村山市・新山の手病院])。
 
リュープリン注射を停止して数ヵ月後の注射跡の腫れ(02/10/29)
 7月の半ばにリュープリンの注射跡の一つが皮膚の内部で硬化して押すと痛みがあったので東村山市・新山の手病院外科に診察に行った。
 しかし,注射跡の周囲のかぶれをヘルペスと誤診しただけで,注射跡の硬化についてはまったく治療してもらえなかった。その後,そのまま放置しておいたが,10月29日の朝に,この注射跡が腫れていて,押すと痛く化膿しているらしいのに気がついた(写真)。その日の朝,多摩老人医療センターの皮膚科に連絡したところ,午前中の最後に診察してくれることになり,担当の清野先生に見てもらうことができた。その場で,メスで切開され,内部が少し膿んでいたといわれた(外傷が全くないまま腫れてきたので,化膿したとは考えにくい。膿と思われたのは,注射後吸収されずに体内に残っていたリュープリンの可能性もあると思われる)。切開跡にコメガーゼを入れて膿が出やすいように処置して,傷口がふさがらないようでしたら,また来週来るように指示された。傷口は途中で腫れて0.1cc程度の出血もあったが一週間を経ずしてふさがった。
 右わき腹の最後の注射は,5月であるから,10月の現在までに5ヶ月もたってリュープリンの副作用がでてきたことになる。これには,びっくりした。

 PSAの値の変化のまとめ
 今までのPSAの値の変化をまとめておこう。
(重粒子線照射前) (重粒子線照射後)
2001年
2002年
2003年 2004年
注射 リュープリン注射(Lp)とカソディックス(Cd)服用 Lp+Cd 05/24以後
Lpのみ
Lp中止後
初めての値
飲み薬・注射何もなし 飲み薬・
注射何もなし
採血日 06/28 07/25 09/14 11/22  03/28 06/20 8/29 12/10 02/06 08/15 11/06 02/05
PSA値 73 72 0.7 0.2以下 0.2以下 0.2以下 0.2以下 0.2以下 0.2以下
0.018
0.019 0.026
 8/29のPSAの値はカソディックス(Cd)の服用およびリュープリン(Lp)注射を中止してから2ヶ月以上経った最初の検査値である。リュープリンの注射を中止した後はPSAの値がわずかに上昇する場合が多いらしいが,私の場合は2ヶ月程度の間にはまったく変化しなかったことがわかる。重粒子線医科学センターによる最初の治療指導では,重粒子線の照射終了後約一年はリュープリン注射を続けたほうが安心であるとのことであったが,私の場合は4ヶ月(毎月一回で,計4回)しか続けなかったことになる。必ずしも誰もがリュープリン注射を一年間継続する必要はないということになるのだろうか。今後の値の変化に注意したい。 12/10の検査値はカソディックス(Cd)の服用およびリュープリン(Lp)注射を中止してから
約半年後の値で,まったく変化はない。2003年
02/06の値は,重粒子線照射終了約一年後の値で,薬や注射を一切中止してから約7ヶ月後の値でもある。
 PSAの値が0.2以下ということは,現在前立腺がんの症状は全くないということであり,その状態が一年と四ヶ月続いているということである。このため,次のPSAの検査は半年後の八月に行うことになった。今のところ,一先ず安心というところである。
 *03/08/15のPSAの値は初めての高感度PSAの測定値で0.018であった。今までは0.2以下というだけでその値がはっきりしなかったのが,今回初めて正確な値を知ることができた。
 04/02/05のPSAの値は2ヶ月間にわずかながら上昇している。前立腺がんの再燃の可能性もあるので,次回のPSAの検査は2ヶ月後に行うことになった。
 
参考
 2002年(平成14年)2/24(日)の朝日新聞朝刊に,アメリカで行われている前立腺がんの治療法として,前立腺内に放射線源(ヨウ素125などを密封した小さな線源:太さ0.8ミリ,長さ4.5ミリ)を80〜100個埋め込んで治療する方法が紹介されていた。その日のうちに自宅に帰れるという。ただし,がんのどのステージまで有効かははっきりしなかった。おそらく, ステージA〜B程度の前立腺がんではないかと思う。日本ではまだ許可されていない治療法であるが,将来は日本でも可能になるだろう。現在のところアメリカまでの渡航費も含めて300万円程度の費用がかかるという。
  2004年5月現在,すでに日本では実用化されています。

 
超音波療法 東海大八王子病院泌尿器科の内田豊昭助教授が、前立腺がんの超音波療法(リンク)を開始して、5年余り。これまでの成績をまとめた結果では、手術に匹敵する治療効果が出ています。この療法は基本的に前立腺内にとどまる転移のないがんに適用されます。(04/05/04記)
 
2003年の一月から二月にかけて,読売,他の新聞,TV放送などで重粒子線治療の紹介がなされた。また,科学雑誌Newtonの2003年4月号では「重粒子線がん治療装置HIMAC」についての詳細な説明がなされている。
遅発性後遺症の体験

排尿異変(2004/07)

 2003年7月22日の夜中に排尿異変がおこった。10分おきぐらいに尿意を生じるのでトイレに行くが,尿量はわずかである。すぐに,失禁パンツをはくことにしたが,その後も,予期しない失禁がたびたび起こった。
 前日の7/21日までは,外に出かけたときでも,実際には,1ないし1時間半程度おきの回数でトイレに行けばよいので,トイレが近くにあれば,失禁パンツをはかずに出かけることも多かった。夜中のトイレに行く回数も2回程度で,夜中の一回の蓄尿量は200ccから250ccぐらいであった。これならば正常に近いのではないかと考えていたところである。
 ところが,今回の異変は,膀胱に尿がほとんど蓄積されずに自然に放尿されてしまうのである。いままでは,膀胱に尿が100cc程度蓄積されてから尿意を感じ,数分以内にトイレに行けばよかったものが,今回は尿意を感じたときにはすでに放尿がおきている。しばらくトイレに入っていて,どの程度で失禁するかを調べるために,計量カップで排尿量を測定したところ,わずかに10〜20cc程度であった。
 前日の7月20日になにか変わった生活がなかったかと考えてみたが,夕食にビール300cc,そのあと,数時間後に300ccの缶ビールをワイフと二人で分けて200cc程度飲み,寝る前にウイスキーの水割り(ウイスキーは10ccぐらい)一杯を飲んだだけで,普段と別に変わった生活ではなかった。
 何かの原因で尿路に異変を起こしたのかも知れない。尿が出る前に尿道の一番奥にわずかに痛みを感じた。
  翌日の7/23日も失禁の症状にまったく変化はなかった。一日で,失禁パンツを5〜6回は取り替えた。今後,このままでは困るので,翌日の7/24に近所の多摩老人医療センター泌尿器科の予約をとり,診察をしてもらいに行った。
 担当の新井学先生に診察を受けたところ,その場で検尿用の尿を顕微鏡をのぞきながら,わずかに尿に膿がまざっているという。膀胱からの尿の出口(前立腺内)に傷があり痛むのだろうということであった。肛門からの触診もしてくれたが,目立つような前立腺の腫れはよくわからないといわれた。
 放射線などの遅発性後遺症の可能性を質問したところ,遅発性後遺症は数年後に起こることもあるが,突発的に起こるのではなく,徐々に起こってくるので,その可能性はないということであった。
 クラビット錠(抗生物質で細菌感染を抑える)10日分,セルニルトン錠(尿を出やすくする)3週間分,バップフォー錠(頻尿改善薬)3週間分をもらって様子を見ることになった。
 抗生物質を4〜5日飲み続けたときに,尿失禁が止み,10日間飲み続けたときには,もとの正常な状態に戻っていた。
 今回の排尿異変を考えてみると,重粒子線の照射終了後一年半ていどの経過では,前立腺の快復は完全ではなく,重粒子線照射による副作用としての前立腺内の尿路のダメージも完全には快復していないということである。
 ビールはたまにしか飲まないものの,日本酒1-1.5合程度の食前の飲酒はほとんど毎日かかしたことはない。飲食物に含まれる刺激物の摂取を長期にわたり続けていたために,刺激物を含む濃い尿が尿路を刺激して傷をつけ排尿異変を起こしたのだろうか。飲酒は適量にして休肝日をもうけ,香辛料などの摂取もあまり刺激の強いものは避けたほうがよいということだろうか。
 原因はよく分からなかったが,ともかく,服薬後一週間以内で尿機能は快復した。約3週間後の08/15のPSAの検査値は,今回初めて高感度PSAの測定をしたのであるが,その値は0.018と低い値だったので,前立腺がんの再燃の心配はなかった。
 08/25に放医研の重粒子医科学センター病院で担当医の辻先生に以上の結果を報告した。辻先生の話では,重粒子線照射後1年半から2年ぐらいで同様な症状を経験する患者もいるらしく,遅発性後遺症の一つと考えることもできるという。
 私なりに考えてみると,健康な身体の場合はビール大瓶一本程度を毎日飲んだとしても,尿道異変を起こすことはまずないであろう。しかし,私の場合は,どうも香辛料や,飲酒の影響だったような気がする。普通の健康な人と同じような食生活も反省してみることが必要であろう。照射後1年半を過ぎてもPSAの値が低く,体調も一応順調なために,快復度を過信して刺激物を飲み食いしすぎたのかもしれない。

 
肛門内部のただれ(2003/10〜2004/01月)

 肛門からの出血は,今までにも硬い便を出すために息張るときにたまにあり,簡単な消毒をすることで直っていた。もともと,切れ痔らしいものがあり座薬を使うと2-3日で治ることが多かった。
 しかし,今月の12,13,14日(2003年10月)と続いた出血はかなりの量で便器が真っ赤になった。大腸がんの検査は大腸に空気を入れて内視鏡で診る検査を5-6年前にしたことがあるが,とくに異常はなかった。多分,大腸がんの心配はなく,切れ痔がひどくなったのかもしれない。肛門付近を指で押すと痛みがある。肛門周囲膿瘍(痔瘻)の可能性もある。
 早速,16日に多摩老人医療センター泌尿器科の新井学医師に相談したところ,もしかしたら,前立腺がん治療のための重粒子線照射による遅発性後遺症があるかもしれないということなので,数少ない肛門科の専門医,共済立川病院(国家公務員共済組合連合会)の守谷孝夫医師に紹介状を書いてもらった。共済立川病院に連絡して,10月24日の午後に予約が取れたので,守谷医師に診察してもらった。
 その結果は,切れ痔の裂傷は見当たらず,肛門から3.5cmほど奥の内部に皮膚が赤くただれているところが三箇所ほどあるので,処置しておこうということで,肛門内の皮膚表面の温熱処理を行った。
 守谷医師は,重粒子線治療についてはよく分からないので,その影響かどうか,また,治療法についても何ともいえない,ということであった。処置としては,座薬(強力ポステリザン軟膏[ステロイド剤含有])の軟膏を28日分処方してくれた。
 肛門付近を押すときの痛みについては調べてくれず,何の説明もなかった。

 肛門科治療の体験記録へ
 その後,座薬を2週間ほど続けたら,直腸内のただれはますますひどくなり,肛門外の切れ痔がさらに大きくなり,肛門の前方が約2cm,後方が約1cmの裂肛となり,椅子に座ることも,自転車に乗れず,困り果てて座薬を中止して近くの皮膚科で処方してもらった軟膏を塗って,11/26の放医研の診察に備えた。
 11月26日に放医研の重粒子医科学センター病院の診察で直腸内のただれについて辻先生に報告したところ,ただれの位置はちょうど重粒子線が照射される位置と一致しているという。重粒子線の照射後,半年から1年ぐらいの間に私と同じように,直腸内にただれを生じた患者も何人かいたという。私の場合,便の排出で息張るときに,軽い出血が数ヶ月ぐらい前からもときどきあったので,重粒子線照射後一年半ぐらいから遅発性後遺症があったと考えられる。
 X線を照射する放射線治療の場合,その症状がさらにひどくなることもあるが,重粒子線照射の場合,一時良くなったり悪くなったりを繰り返しながら,三ヶ月ぐらいで直ることが多く,長くても半年ぐらいのうちに直るといわれた。
 ステロイド剤の座薬や軟膏を使用したため傷口を悪化させたり,直りが遅かったりしたが(上記:肛門科治療の体験記録参照),非ステロイド剤の座剤や軟膏を使用したところ,3〜4日で直腸内のただれも,切れ痔も直ってしまった。直腸に同じような副作用があった場合には,とくに注意してほしい。 

  翌年の2004年の一月になって,大腸がんの潜血検査をした。その検査の結果,潜血反応があり精密検査をするように指示された。一応,大腸がんの精密検査もするつもりである。しかし,痛みが全くないので直腸内壁のただれが直ったものと思っていたが,まだ残っていてそのための出血かもしれないと思い,非ステロイド系の座薬を使用したところ,その翌日に,排便の際の出血がわずかに見られた。どうも,そう簡単にはただれが直っていなかったことが分かった。気長に直すより仕方がないようだ。

夜間就寝中の尿漏れについて(2004/01/13)

 それまではなかったことであるが,
最近,就寝前に多量の水分をとると朝起きたときにパンツがわずかに濡れている事がある。一ヶ月に数回ではあるが,膀胱内の水分量がある限界値をこえると就寝中に尿道の先端からほんのわずかの尿(数分の一CC程度)が滲みだすと考えられる。 現在は,夜中にトイレに行く回数は普通は2回程度であるが,水分を多くとったときには,夜中でも何回も起きたほうがよい。01/12の夜は12時過ぎから300cc程度の水分をとって一時半ごろ就寝しその後,一度トイレに起きてからそのまま朝まで寝付いたためか,朝起きたときにパンツがいくらか湿っているのに気づいた。
 水分を多量に取りたいときは,就寝数時間前にとることにして,飲んだ分の排尿後に就寝をしたほうがよいことに気づいた。もうそろそろ,重粒子線照射終了から約2年になるのだが,これも,遅発性後遺症の一つであろう。

大腸がん便潜血反応検査に引っ掛かる(2004/01)
 2004年の一月八日に行った大腸がん便潜血反応検査に陽性の診断を受けた。そのために,消化器科の診察を受けることになった。重粒子線の遅発性後遺症が思いもかけない検査に遭遇することになった。詳しくは「大腸がんの検査に引っ掛かる」を参照してください。

      1.前立腺がんの発見までの経過・男性性器の説明図 
     2.前立腺がんのステージの告知・骨シンチグラフィやCTの写真
      3.都多摩老人医療センターでの治療の始まり.
      4.重粒子医科学センター病院での治療とは?
   
 重粒子医科学センター病院での治療準備
      6.重粒子線治療の体験報告
      8. 重粒子線照射後約2年以降の経過(2004/02〜)